ダイバーシティを駆け抜ける ~多様な価値観と折り合いはつくのか?~

心理学のおはなし
fujiwaraさんによる写真ACからの写真

こんにちは。ハルちゃんです。本日は『居心地良く~』のシリーズはひと休み。
新型ウイルスの影響により、中止となった大相撲5月場所。当初は本日5/24からの開催予定でした。寂しいですが今の状況では妥当な判断だと思います。3月場所も無観客開催でシュールな雰囲気の中で取り組みが行われたのは記憶に新しいところです。早く収束して盛り上がった取り組みを観れる日がくるのを待ちわびるばかりです。
そうそう!3月場所の健闘の末、朝乃山が大関に昇進しました!!多くの日本人力士で『押し相撲』が多くみられる中、投げたり組んだりでき、且つセンスが良く頭も切れる朝乃山の大関昇進には私もテンションが上がりました!こんな日本人大関を待っていたんですよ!早く横綱にもなってほしいと思います。稀勢の里が横綱になってわりとすぐに引退してしまい、しばし寂しかったところですが、この朝乃山も含め、同じく北陸出身の炎鵬といったファンを沸かせるプレーヤーが登場しておりいよいよ面白くなってきそうです(炎鵬は小柄な体格ながら様々な技を駆使し、根性ある取組が魅力の超イケメン力士になります)✨
おっと、これ以上相撲の話だけを進めるとこの記事が終わってしまいそうなので、本題に入ります。本日はダイバーシティについて考察していきます。今回は結構極端な表現や考えを用いていたりしますので不快に思った方は閉じていただければと思います😅
注)あくまでダイバーシティの観点から様々な考察を述べています。大相撲の話題等を例に挙げていますが、日本の風習や伝統及び特定の文化、価値観を持つ個人や組織への批判をするものではありませんので予めお含みおき下さい。

ダイバーシティの考え方


ダイバーシティという言葉を聞いたことがあるでしょうか。一言でいえば『多様性』となりますが、この多様性は幅広く世代や国籍の他、ハンディキャップの有無や宗教観等、果ては生活習慣といった具合に本当に多様な違いを意味しています。日本人同士でも出身県の違いでその習慣による考え方価値観に驚くことがあります。「餅は四角い」が当たり前の土地があったり「餅は丸い」が当たり前の土地があったりするのは好例ですね。そう考えると、あらゆるコミュニティにおいてダイバーシティは存在するといえるでしょう。
ところが、その『違い』の内容によって深刻な問題が発生することもあります。例えば、正規雇用者と非正規雇用者とでは報酬や待遇の面の違い等による軋轢があったりすることがあります。「餅が丸いか四角いか」どころのハナシではありませんね。その中でも本日は日本人に多くみられる気質に関連する問題をクローズアップしたいと思います。

横綱の張り差しとダイバーシティの関係を考察する

冒頭で相撲の話をしましたが一時期(今もかな?)、某外国出身横綱による『張り差し』が一部で問題視されましたね。『張り差し』とは「はっけよーい」の立ち合いの際に相手プレーヤーの横顔に張り手を繰り出し態勢を崩させるひとつの技になります。この『張り差し』と呼ばれるストロークはファンも含め、相撲の世界ではあまり印象良く捉えられていないようです。なぜかは色々あるようですが「見苦しい」「横綱らしくない」「品格が無い」といった意見をメディア等でよくききます。上記の横綱は他にも『かち上げ』と呼ばれる肘を使った技も繰り広げ、こちらもよく問題視されていたようです。こうした『張り差し』や『かち上げ』は問題視こそされてはいますが実はこれ、ルール違反ではないのです。つまり、横綱はルールに則ってプレーをしているのです。にもかかわらず、その取組について批判されるのには日本人特有の文化、伝統や価値観が関係していると考えられます。こうしたところにもダイバーシティへの課題が見え隠れしているのではないでしょうか。

恥の文化に限界はあるのか!?

米国の文化人類学者ルース・ベネディクトは日本人についての研究結果を『菊と刀』という書籍で解説しています。その中でよく知られるのが「恥の文化」と呼ばれるものになります。これは日本人の多くは恥を意識した行動をとることを指しています。平たく言えば、他人の目や世間体といったものが日本人における行動、判断の重要なファクターになっているということになります。なので、日本人の多くは明確なルールがなくとも「その場の空気」といったものを読み取り、その空気に基づく行動がとれます。
一方で、欧米等では「罪の文化」が人々の行動、判断を決定する要素となります。罪の文化は宗教的な背景がそのルーツにあります。そして、罪の文化には明確なルールがハッキリと存在します
極端に言えば、恥の文化が身についていれば明確なルールが無くても規律が守れ、そうでない場合はどうしていいのか分からなくなってしまいます
余談ですが、日本通の外国人の方の中には日本的な文化を受け入れ、実践されている方が多いように見受けられます。また、受け入れようと努力する姿勢がうかがえます。場合によっては日本人以上に日本人らしいといえる人までおられるのではないでしょうか。頭が下がりますね👍

さて、こうした恥の文化を上述の横綱による張り差しの事例に当てはめてみましょう。
張り差しやかち上げはあくまで「好ましくない」といった曖昧な認知であり、禁じ手ではありません。従って、罪の文化で行動する立場からみたら、ダメと言われても困ってしまうといえるでしょう。
確かに、横綱という立場であればそれに見合った立ち振る舞いを取るべきであることは私も十分理解していますし、それが当然と考えます。だからこそこうしたプレースタイルが良い印象を持たれていないことは理解できますしかし、ダイバーシティの観点から見れば、「それが通用するのは限られている」と考えられます。そこに恥の文化の限界があると私は考えます。悲しいですがそれが現実と言わざるを得ないでしょう。

ルール化は必要なのか!?

ではどうすればいいのか?
横綱の品格、立場、相応しい立ち振る舞い、これら日本の伝統を全ての力士が自覚し身につけてもらえるように『教育』することが必要です。しかし、これは既に所属部屋の『親方』が実施していることでしょう。それでも受け入れられていない場合があるというのが現状であれば、やはりきちんと規定を設けるということも視野に入れる必要があると考えます。「どうしても守ってもらう」のであればですが。
そんなことせず、自然にできれば良いのにと思うと少々虚しい気もしますが、多くの人がwin-winになるという意味では必要といえるでしょう。
多様性を尊重しつつ、行動変容を促すには『ルール化』はひとつの有効な手段であることは明白ではないでしょうか。

工場の生産現場に見るダイバーシティ

日本の様々な職人さんの技術はメディア等を通じて折々で紹介されていますね。伝統工芸等にみられる美しさからはその技術の素晴らしさを感じます。ところで、伝統工芸とまではいかなくとも日本の工場におけるものづくりにも職人技に通ずるものが存在するといえるでしょう。「仕事は盗んで覚えろ」「先輩の背中を見て覚えろ」という風土の企業もかなりあったと考えられます。しかし、現代では『マニュアル化』や『標準化』といった仕組み、QCの手法等によってその日入社したばかりのビギナーの方でも安全に正確に業務ができる仕組みが整っている場合が殆どといえるでしょう。工場の人材派遣といった「雇用の多様化」とも呼べる状況もあり、このような取組みはさらに必須になったのではないでしょうか。さらに、『フェールセーフ』『フールプルーフ』といったヒューマンエラー対策等はかつての職人技の時代から見たら物凄い変革となります。
こんなご時世に、「仕事は盗んで覚えろ」という教育を受けてキャリアを積んだ正社員が今日入ったばかりの派遣社員に同じことを言おうものなら
「マニュアルとかないんですか?」「数字で示してください」
と逆に怒られてしまうことでしょう。

ダイバーシティと時代の流れを考える

文化価値観はこれまで時代とともに変化してきました。例えば、電話といえばかつては固定電話(しかもダイヤル式の黒電話)又は公衆電話でした。ところが現代ではスマホが主流で固定電話を持たない人も増えています。さらに、公衆電話を使ったことがないという子どもまでいるというからには驚きです。パソコンも今ではさも当然のごとく一般家庭にありますが、20~30年前では考えられませんでした。昨今話題のオンライン飲み会にいたっては「未来の世界のおはなし」だったといえるでしょう。
そう考えると、時代の流れもひとつの多様化といえるのではないでしょうか。これまでの常識が非常識となる。日本人特有の文化として恥の文化は存在しますが、日本人の中にも徐々にその認識に変化が見られてきている部分が少なからずあると私は考えています。従って、その都度アップデートが必要であることは否めません。組織も個人も、この先の更なる変化に対応できるよう努力が必要といえるでしょう。それこそがサブタイトルにある多様な価値観との折り合いをつける為の手段であると思います。

おまけ

さて、ここまでダイバーシティを考えてきました。今回は日本的な考え方や文化についてもお伝えしたので、ここでもうちょっと日本らしいことについて書きたいと思います。こちらも完全に私の偏った私見で言いたい放題言っていますので、暖かい目で見ていただけたらと思います笑

「ご遠慮下さい」という表現

よく見かけますよね。「~はご遠慮下さい」って。意味は「禁止」ということは理解していますし、このような柔らかい表現で人の行動を規制できていることは素晴らしいと思います。しかも、それを遵守することに何の抵抗もなく当然のようにできる高いモラルも感じます。
ただ、些細なことまでも「ご遠慮下さい」という言葉を使うのはやりすぎではないかと思うのです。
「そこ、ストレートに『禁止』でいいじゃん!」
と思ったりしてしまいます。何でもかんでも低姿勢ではメリハリがつかないのではないでしょうか。「ガツンと言うときは言う!」姿勢もこれからのダイバーシティを生き抜くには必要なスキルであると私は感じます。

「謙遜」の多用に注意

日本人の特性として「謙遜」というのはキーワードとして登場することが多いですね。「謙遜」すること自体は奥ゆかしい日本人らしい気質であり、こうした精神も大切な要素だと思います。しかし、だからといって多用すると逆にマイナスに働くこともあり得ます。
時と場合にもよりますが、
「啖呵のひとつも切る」
ことも必要といえるでしょう。
企業人では、あまりハードルの低い目標を設定すると
「積極性に欠ける」
とみなされてしまいます。つまり、謙遜のしすぎは自身の成長の幅を狭める他、他者からの印象にも悪い影響を及ぼしかねません。
居丈高では何かと問題ありそうですが、適度な謙遜と適正な目標設定ができるようになりたいですね!
また、これは謙遜というより謙虚と言った方が正しいですが、お相撲さんの昇進時、伝達式の際に発する「謹んでおうけいたします」という口上があります。これ自体はセレモニーと日本の伝統という意味で大切なプロセスではあることは十分理解しています。ただ、こんなこと言ったら怒られそうですが、個人的に言えば
「堂々と受け取ればいいじゃん、実力があって数字で結果出して昇進したんだから」
と思ってしまいます。さらに、インタビュー等では
「俺は誰よりも強くなる、連戦連勝、毎回優勝する!」
くらいの啖呵も切ってくれたら、そんな若手力士が登場したらもっと応援したくなりますね!笑

今回は以上になります。本日5/24現在、5都道県の緊急事態宣言が解除されそうな雰囲気ですね。ただ、解除といってもウイルス問題が収束したわけではないので一様に喜ばしいとは思えないのが正直なところです。もうしばらくは通勤と買い物以外は自宅で過ごす日々が続きそうです。もちろん、ココロでは
「カフェいきた~い! 居酒屋いきた~い!」
と悲痛な叫びをあげてはいますが、今は我慢のしどころだと思っています。
夕方自宅のバルコニーでビールを飲むくらいで気持ちをしずめることにします👍

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

コメント

タイトルとURLをコピーしました