居心地良く生きるために11  ~比較について~

心理学のおはなし
チームもじゃさんによる写真ACからの写真

こんにちは。ハルちゃんです。
連日暑い日が続きますが、日の出日の入り時間が縮まってきていますね。立秋からは2週間くらい経ちました。何だかんだで夏が終わり次の季節が到来していたりするのですね。私は毎年この季節の変わり目には少しセンチメンタルになります。春は日が長くなり、これから明るい季節が始まる期待で楽しい気持ちになりますが、夏の終わりは寂しいイメージがあります。まあ、秋冬はそれはそれで楽しいイベントが盛り沢山ではありますが、やはり私は日照時間が長い季節が好きですね(朝型だからかな)。一方でウィンタースポーツが好きな方や、暑さが苦手な方であれば逆に冬が好きなのではないでしょうか。さて、シリーズ第11回。前回に引き続き、アドラー心理学のお話をしていきたいと思います♪今回は劣等感について、進めてまいりますヨ!

競争だらけの人間社会

人は生まれた時から競争に晒されて生きている、と言ったら少しオーバーかもしれませんが、少なくとも物心がついた時点ではすでに何らかの事物について、他者との優劣を意識せざるを得ない環境に身を置いているのではないでしょうか。例えば、幼稚園や保育園ではクラスメイトがいます。日々の活動においてはどうしてもそれぞれの個人差が出てくるのは避けようがありません。例えば運動会の○○メートル走。運動神経や体格、又は家庭での親御さんの教育方針によって差が出ることがあるでしょう。小学校に上がれば(早ければそれ以前から)今度は学業での競争がはじまります。学校が終われば社会に出て実践サバイバルを生き抜きます。また、兄弟姉妹、果ては親類従兄弟等との差異を意識することもあるかと思います。このように、意識してみると人間社会は競争だらけであるという側面を持っているといえるでしょう。そんな中で誰しも(気にされない方もいるかと思いますが)感じるのが他者と自身を比較した優越性、劣等性です。それは優越感、劣等感として認識され生活活動における様々な局面で影響を及ぼします。上記で運動会を例に挙げましたが、他にも

❝学業では試験の点数❞

であるとか、

❝○○がどこかの名門に進学した❞

であったり、
社会に出れば

❝○○さんは起業して大成功❞

だったり

❝△△さんはキャリア官僚としてバリバリこなしている❞

といった感じです。そして自身を顧みて劣等感を感じた人はこのように考えるでしょう。

❝それに比べて自分は、、、❞

このように他者との比較で気分が沈み、劣等感に苛まれるといったことは経験された方も少なくないのではないでしょうか。
本日クローズアップするのはそんな「劣等感」に関するお話です。

優越感=劣等感❓❕

早速唐突且つ意味深なタイトルをつけましたが、これは諸々のメディア等でも言われていることで、ご存知の方も多くいらっしゃるでしょう。要は、自身が他者より劣っていると感じている分野を全く別の分野で実績を出すことでカバーしようとする行動が該当します。

例えば、❝家柄❞が周囲の人達と比較して劣っている、と感じている人が猛勉強して様々な資格、肩書を得る、又は起業して富を築くことで優越感に浸る、といった内容が該当するといえるでしょう。とはいえ、そこで優越感に浸れるのはあくまで本人が比較して❝あの人には勝っている❞と判断した人に対してのみですね。世の中上には上がいる、というように自身より実績を出している相手を目の当たりにしたら結局また劣等感に苛まれることになるでしょう。
このように、優越感と劣等感はコインの表と裏のような関係にあります。

劣等感を乗り越える

アドラー心理学ではこのような劣等感等に苛まれることから脱することにも言及しています。他者と比較して自信を無くすのではなく、自身にしかない魅力や個性を大切にして生きていくことが大切になります。少し前(今もかな?)に❝オンリーワン❞というフレーズが注目されたことがありましたね。まさにオンリーワンの存在である自身に価値を置いていくことで、他者との比較から脱することができるのではないでしょうか。
ここからは私の考察も交えてのお話となりますが、アドラー心理学では「未来へ向けた目的」にその主眼をおいています。ですからその「目的」と向き合い、「目的」に向かった行動をすることが本人のベストであり、そこに他者との比較といったものは大きな意味をなさないといえるのではないでしょうか。当然、「目的」の為に比較をすることは重要ではありますが、それは劣等感や優越感といった感情に浸る為ではなく、あくまで情報データとして活用する為の「手段」に過ぎません。
例えば、自身の人生の目標が
❝幸せな家庭❞
であるならば、自身の家族の為に様々な行動をすることでしょう。
仮に、隣に
❝スピード出世した同期❞
がいたとして、憧れこそすれど、そこで同じ土俵で勝負して勝ちたいとはそこまで思わないでしょう。

このように「目的」あるいは「目標」に傾倒することにより不要な他者との比較からの卒業は可能だと思うのです。

ハルちゃん体験談 ~ランニング中の出来事と。。。~


今回、劣等感や比較といったテーマで進めてきましたがその中で私が体験した優越感、劣等感にまつわる体験を思い出しましたのでちょっとだけ書きますね。

私は趣味でランニング(といってもゆるいジョギング程度)をするのですが、早朝ということもありランナーがあまりおりません。時々いるにはいますが、大体私と同じくらいのポテンシャルか、私の方が若干早いので追い越すこともしばしばあります。しかし、時間帯などが少しずれたりすると結構多くのランナーが出陣してきます。その中では当然ガチでやっておられる方もおり、ある日スーっと追い越されてしまいました。その時私が感じたのが正に「劣等感」に近しいものでした。何か追い越された自分が恥ずかしいような、そんなキブンになってしまったのです。そして今度は別の日に、私が走っている向こう岸(ハルちゃんは川沿いをランニングしているのです)に並走するランナーを発見しました。そして思ったのです「競争してみようかな」と。私の設定したゴールまであと1㎞弱ではありましたが、対岸のランナーと競争することにしたのです。結構しんどかったですが、私が先にゴールにつきました(対岸のランナーさんはそんなことまったく知らないですからホントに勝負したらわかりませんね💦)。その時ちょっとした「優越感」に近しいものを感じていました。今回このテーマを書き進めている中でふと思い出したエピソードでしたが、実は私の場合、ランニングはもともと心身のリフレッシュと夜に美味しくお酒を飲むことが大目的であるので他のランナーとの勝負事にそこまで強いこだわりはありません(それでも追い越された時は少~し気にしてしまいますが😅)。
ただ、目的が❝大会に出る❞とか❝大会で〇位になりたい❞といったことであれば、このような比較はあって然るのではないかと思いました。そういう意味では(相手がいればですが)目的の為の切磋琢磨であれば必要であり、それは良い意味での比較なのではないかと思いました♪

実は私自身、親類従兄弟関係の中で長い間劣等感を感じてきました。その中で色々なことに挑戦して自己研鑽に傾倒してきました。そう考えると、劣等感自体がどうとかいうよりもそれに対する捉え方と行動によってそれは大きく変わっていくのだなとも感じました。劣等感に苛まれて沈んでいくのか、それとも努力して自身をより高めていくのか、どちらがベストかは未来を見据えたアドラー心理学の視点で考えれば一目瞭然ですね❕
そしてやはり「手段」としての「比較」は必要だと思ったのでした^^

おまけ

今回のテーマは以上になります。
私自身のハナシも少しさせていただきましたが、そんなことも折々で触れていきたいなと思っています。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!
また次回もよろしくお願いします🌟

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