古典に学ぶ生きやすさ5 ~ライフキャリア格差を考察~

身近な古典
まぽさんによる写真ACからの写真

こんにちは。ハルちゃんです。
寒い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。日の出日の入り時間はほんの少しずつ変化していますが、まだまだ朝は6時半くらいまで明るくならないのでちょっと寂しいなぁ、と思う今日この頃です。
花粉症はキツイですが、春が待ち遠しい限りです。

本日のテーマですが、折々でキーワードとして出させていただいています「ライフキャリア」になります。とりわけ以前にもお伝えしたことのある「ライフキャリア格差」について、中国古典の言葉等をはさみながら考察していきたいと思います♪
前段では結構暗い話になり、「どこが❝生きやすさ❞なんだ!」と感じるかもしれませんが、前段では現実的な問題を直視することを主眼としています(シュールな内容となっておりますので苦手な方はご注意ください)。後半では、その現実とどう向き合うかという前向きな視点で進めてまいります。

注)あくまでハルちゃんが感じたこと、考えたことをまとめているということを前置きさせていただきます。予めお含みおき下さい。

出自至上主義は存在するのか!?

我ながら
❝すごい見出し名を付けたもんだな❞
とは思いましたが、本日のテーマ「ライフキャリア格差」を語る上で「出自」という概念は登場して然りと考えています。なぜなら、出自は格差の重要なファクターであると考えるからです。日本の歴史(海外もかな)を振り返っても出自がその人の人生を決めかねない事は多々あります。現代社会でもそれは少なからずあると私は考えています。それはその人の才能を開花できなかったり、天職に就けず慎ましい人生を歩まざるを得ない結果に繋がります。
このように、残念ながら出自はその人の人生を左右することは明白であると考えられます(もちろん例外もあり得ますが)。
また、ここで申し上げたいのは、なにも❝役人のすごい偉い人❞とか❝一流の伝統芸能❞とか❝立派な学者、医者❞等といったことに限ったハナシではありません。
基本的なスタートラインのことをお話しています。
「出自」とは、調べると❝生まれ❞❝でどころ❞といった意味であることがわかります。その中でもここでいう出自とはあくまで人が生まれた後の環境、境遇といった意味合いで進めてまいります。

早速ですが、ここで以下に孔子の論語からの引用をご紹介します。

性相近し。習相遠し。(陽貨第十七から)

こちらは、
❝人は生まれた瞬間ではポテンシャルに大きな違いは無いがその後の人生への取り組み方で差が開いてくる❞
という主旨のことをいっています。
主に
❝その人本人の取り組み方❞
に焦点を当てているようです。つまり、生まれた後の取り組み方でそれぞれの人生の差が開いていくという意味のようです。
とはいえ、ここではその人の生まれた後の環境や境遇にクローズアップしていますので、自己の取り組み方については一旦置いておきます。

一方で、論語では今しがた申し上げました環境、境遇にも通ずると捉えることができる件(くだり)があります。以下に引用します。

教えざる民を以て戦うは、是れ之れを棄つと謂う。(子路第十三から)

この件(くだり)は軍事的な要素が濃い内容となります。戦場に兵を赴かせるにあたっては、然るべき教育が不可欠です。何も知らない、術を持たないまま戦闘になったらどうなるかは自明の理といえるでしょう。サッカーを想像してみましょう。一方はきちんとしたルールの説明を受けて、知識経験のあるコーチによるトレーニングを受けたチームがいます。方や、数分前に簡単な説明を聞いただけで初めてサッカーをするチームがいます。両チームが対戦した場合の結果は明らかでしょう。

さて、これを人生に置き換えて考えてみましょう。生まれた後に充実した教育を受けられずに社会に出たらどうなるでしょうか。世の中には経済的な事情、自然災害等の影響で自身の納得がいく教育を受けられないまま社会に出ざるを得ない人が数多くおられると思います。ここで、何不自由無い家庭環境で育った人との差がついていくと考えられます。

将棋には手合い割という、いわゆるハンデの仕組みが存在します。
その中でも
❝十枚落ちというハンデは、持てる駒が「玉」と「歩」のみ❞となります(下図参照)。
実際の将棋では実力上位の側がハンデを負うわけですが、ライフキャリア格差にはこのハンデとも通ずるものを感じています。
❝「歩」は「と金」になることはできても、決して「銀」「香車」「飛車」「桂馬」「角」になることはできません❞。
これこそがスタートラインの差、そしてその後の人生の差、すなわちライフキャリア格差であると私は考えています。

上記引用
「性相近し。習相遠し。」
のように、生まれた時は同じであるにもかかわらず、その後の置かれた環境、境遇が異なるが為に差が開くというのはあまりにも悲しすぎる話ですよね。
それでは、「じゃ、どうすんだ!」ってことになるわけですが、こちらも中国古典の知恵をお借りしながら以下に進めていきたいと思います。

学びと実践で人生を自ら切り拓く!

過去の記事でも似たようなことを申し上げたことがありますが、結局のところ人間社会では格差はついてまわります。これは動物も同じで、力の強い者が相応のポジションを取ることができます。
そして、スタートラインの格差は最早受け入れるほかないというのが現実的な選択になるかと思います。なぜなら、そこで諦めてしまうのは人生を放棄するようなものだと思うからです。
上記で将棋の例を挙げましたが、察しの良い方はもうお気付きかもしれませんね。
そう、将棋では確かに「歩」は「と金」にしかなれません。しかし、相手の駒を手に入れて自身の駒とすることができます。
とはいっても、ここではなにも他人から何かを奪い取るというような乱暴な主旨ではございません。

自身で努力して人生を勝ち取るという意味になります。

もちろん、努力だけで全ての駒が手に入ることは大変難しいと思います。が、何もせずにいるのと、何かしらのアプローチをするのとでは結果が変わってきます。
以下にご紹介する論語からの引用は、そういう意味を込めたエールのような気もします。

困みて学ばざるは、民斯れを下と為す。(李氏第十六から)

こちらは学ぶ必要性があるにも関わらず、それを放棄するのはダメダメだということをいっています。
だから人は様々な勉強や実践を経てキャリアを重ねていく必要があるといえますね。実はこの件(くだり)は人を4段階にランク分けしているようです。ザックリまとめると以下のような分類になります。

1.生まれながらの天才
2.学んだ末に結果に繋げた人
3.今学んでいる最中、又はこれから学ぼうする人
4.学ぶ気が無い人

1はさておき、2と3はまさにスタートラインの違いといえますね。しかし、上述の通り努力を諦めて4に落ちていくのはよろしくありませんね。今はまだ3の段階でもキャリアを重ねて2を目指すことは可能だと考えられます。

そして、もうひとつ論語からの引用をご紹介します。

教有りて類なし。 (衛霊公第十五から)

こちらもザックリまとめると、人は学びによって結果が変わるという意味になります。
上記引用「困みて~」もそうですが、2つとも教育の大切さをいっています。それはただ単にアタマのいい学校を卒業するとかいうことを超えて、必要な知識教養を身につけて実践することの重要性をいっていると解釈できます。

あの本田宗一郎氏も相応の地位に就いた後、事業に必要な分野を学ぶ為に然るべき教育機関で学んだというエピソードがあります。
そう考えると、人生を切り拓くには学びと実践が不可欠だといえますね。
確かに、恵まれた家柄に生まれていれば相応のレールが用意されて、順調に人生を謳歌できそうなイメージはあります。しかし、これは個々人が好きなように選ぶことが不可能です。だから、自身の環境、境遇は一旦受け入れ、その上で最大限の努力をすることがライフキャリア格差を是正する最大の術であるといえるのではないでしょうか。

ライフキャリア格差 その他思うこと

本テーマの中心的な内容は以上になります。ここでは(まぁ、ここまででもですが💦)私の勝手な思いを綴ろうかな、なんて思います。
ライフキャリア格差について話をすると、決まって以下のような内容が登場します。

❝苦しい環境で育っても成功した人はいる❞

大変恐縮ではございますが、この考え方に私は強く反論したいのです。
なぜか!
それは、世の中そうそうスゴイ人なんて沢山存在し得ないと考えるからです。世の中で成功をおさめた人がどのくらいいるのか、それはほんの一握りなのではないでしょうか。
中国の思想家、韓非の韓非子にはそれを意味すると解釈できる件(くだり)が難勢篇の中で登場します。要は優れた人(韓非子の中では国を治める人のお話ですが)というのは稀有な存在であるので、アプローチするべきは一般的(平均的)な人である、という主旨のことをいっています。
このように、極端な事例を言っても情緒面には何かしら響いたとしても、現実的な参考にはならないと考えられます。正規分布でいえば、真ん中のある一定の範囲内でのハナシをしているのに、その端っこにクローズアップするのは論点がズレているといえるでしょう。
あくまでも、現実的な事実と向き合い自身の人生を切り拓くことが重要であると私は強く思うのです。

おまけ

今回はかなりシュールな内容となりましたが、ライフキャリアは生きやすさという意味もさることながら、人生のトータルでみて重要であると常々感じている為、テーマとさせていただきました。


先日、タブレットを購入しました。ブログ執筆するのに、基本PCを使うのですが出先のカフェ等では専らスマホを使用していました。さすがに不便なのでこの度買うことにしました。
amazonのfire HD10というやつで、アレクサが内蔵されていました。早速使用しています。普段YouTube等はスマホでみていますが、デカいタブレットでは迫力がガウチーですね!アレクサとも遊んで❓います笑。
今後出先でのブログ執筆でも大いに活躍してもらう予定です♪

今回は以上になります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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